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2011年3月13日 (日)

帰宅難民となって

今回の大地震を経験し、わかったこと、一人でも多くの方にお伝えしておかなければならないことを、まとめておこうと思います。

3月12日(金)の朝、暖かかったので薄いマフラーにしようか?と思ったのですが、なぜか見つからず(断捨離がまだまだですね)、いつものウールのマフラーをしていきました。(のちにこれで良かったことになります)

10時過ぎ、新宿について空がとても綺麗だったので、なぜかいつもは写真なんて撮ろうと思わない都庁を撮りました。

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地震があった時間は、新宿の高層ビルの地下にいたのですが、地下でもものすごい揺れで立っていられず、思わず皆、しゃがみこみました。

ただ、その場では棚の物が落下したり、物が倒れたりすることがなかったので、いわゆる音の怖さは半減したように思います。

死ぬとまでは思いませんでしたが、新宿の高層ビルの地下でこれだけの揺れなのだから、木造2階建ての我が家が倒壊していてもおかしくないし、タンスが倒れて家族が下敷きになっていたり、キッチンでは石油ストーブを使っているので、物が落下して火事になっていないだろうか?と心配になりました。

すぐに携帯(au)で、電話しましたが、つながらず・・・

メールも送信できない状態でした。

すぐにビルの館内放送があり、ビルの震度計では震度4とのことでしたが、どう考えてもそれ以上の揺れだとは思いました(実際に東京は震度5弱)

少しすると震源地は宮城で震度6だとか、都庁の近くの橋が落下した、お台場で火災発生などという話が舞い込んできました。

橋が落下なんて聞くと、木造の我が家が倒壊しているかもしれないと不安が高まります。実際にこの橋が本当に落下したかどうかは、今もその真偽はわかりません。

都庁の中の一部天井だかが、落下したというのは事実です。

2度目の方が強い揺れを感じました。また揺れがおさまってからもゆらゆらと揺れているような感覚で、船酔いのような感じでした。

16時10分過ぎにビルを出ると、ビルの外にはヘルメットをかぶった会社員の人たちが非難していました。

その後、帰宅する会社員が、会社名の入ったヘルメットに、非常食の入ったリュックを背負っていました。

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この後、こういう格好の人が何人もいて異常な光景でしたが、社員一人一人にヘルメットと非常食を用意している会社こそ、危機管理の徹底した会社であると思います。

中身は500mlの水数本とカンパンが入っているようでした。

私はたまたま、飲み物、パン、チョコレートを持っていたので、万が一の時もこれだけあれば凌げるだろうと気持ちの余裕がありました。

身の安全を確認したら、まずは水、パンかおにぎり、チョコレート等の少量の食料を確保しておくのも、大切だと思います。(途中、コンビニはどこも込んでいましたし、売り切れというところもあったようです)

新宿駅に向う途中、ヨ○○シカメラがありましたが、こんな中でも外で携帯会社やプロバイダーのスタッフが呼びこみをしていて、このスタッフの帰宅のことなど危機管理を全く考えていない企業の在り方、また商魂たくましさに嫌気がさしました。

店内にいるお客様と従業員、アルバイトの安全を最優先で考えたら、いつまでも営業している場合ではないと思うのですが・・・(この時すでに駅ビルのルミネは営業中止していました)

新宿駅西口はすでに人がたくさんいて、大学の卒業式の帰りで、羽織はかまの女の子たちが風が吹いて「寒~い」と言いながら、歩き慣れない草履で大変だったと思います。

JR、地下鉄はもちろんストップしているので、バスで帰ろうとバス停を探しました。普段乗っていないので、自分の家の方面のバス停を探すのも容易ではありません。

もちろんバス停はどこも長蛇の列で、地下まで続いていました。

地下に行くと公衆トイレに入る人の列もあり、どこがバスの列なのかわからないくらいで、お互いに声をかけあって列の最後尾に並びました。これが16:38です。

この時点でも母の携帯にも自宅にも電話はつながりません。

メールは送信できたものの、誰からもメールもきません。制限がかかっていることはわかるのですが、こんな時こそ使えないのが困りますね。

auの災害伝言板があったはずと、初めてそれを利用しました。

とりあえず、母の携帯、友人、いとこの携帯へメールが行くように設定登録をしました。

あとからわかったのですが、メールがセンターで止まったいたので、メールが受信できない時は自分で新着メール問い合わせ」をするとメールが届いている場合があります。

その後、待つこと40分・・・2台目のバスが来てお客さんを降ろした後、運転手さんがどこかに行ってしまいました。

風も強くなってきていて、寒くなっていたので「早く乗せてくれればいいのに」とか「どこに行ったのだろう?」と話していたのですが、「トイレに行ったのかもしれないですね」と言うと前に並んでいた男性が「トイレなら仕方ないよね。トイレくらい行かせてあげなきゃ」と・・・

私は運良く座席に座れて、17:20にバスが発車。

すぐに運転手さんから車内アナウンスがあり、「途中、道路が非常に混雑していて終点までは2時間くらいかかります。どんだけ~って感じですよ」という言葉に、乗客も笑い、車内がなごみました。

続いて「・・・なので、漏らすわけにもいかないので、皆様にお待ちいただいてトイレに行ってきました」という話しで、みなが笑いました。

長時間待っていたのと、なかなか家族と連絡がつかないと皆、不安とイライラがつのりますが、この運転手さんの言葉でどれだけホッとしたことでしょうか。

車内から外を見るとたくさんの人が新宿駅方面に向って歩いていました。

ヤ○ダ電機の新宿本店は、シャッターが締まっていて営業中止になっていたようでした。

満員ですので、途中バス停に止まっても待っている人は乗車できない状況でした。いくつか目のバス停では「もう2時間も待っているんです!」と訴えていたお客さんがいましたが、満員なので仕方ありません(>_<)

ただでさえ混雑している新宿通りですが、一層混雑していてノロノロ運転。

19:50に日本女子大前(目白)についたのですが、「ここから目白駅まで歩けば20分くらいだが、バスだと渋滞していて51分かかったとバスセンターから無線がありました。目白駅から終点までは計測不可能とのことです」とアナウンスがありました。

ここで降りる人もたくさんいました。

この頃にはようやく親戚の子とメールで連絡がつき、「僕は会社から歩いて家に向っています。いわゆる帰宅難民です。もうすぐ家につきます」とメールが届いたので、「途中で寄るかも。家族と連絡がとれないから、帰ったら電話しておいて」とお願いしました。

携帯メールは通じなくても、インターネットはつながるのでこういう場合はインターネットのメールや伝言板、ブログ等を利用した方が賢い選択です。これは良い教訓になりました。

携帯から地図を見るといとこの家まで約5キロ位、幹線道路をこのまままっすぐひたすら歩けば着きますし、そこまで行けば一安心ということもあり、全く動かなくなってしまったバスを降りて歩く決心をしました(20:03)

民族大移動、歩け歩け大会のように、みんな黙々と歩いています。↓画像右端の歩道をたくさんの人が歩いています。

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会社で支給されたヘルメットをかぶって歩いている女性もいます。

都内は人は多いものの、私が歩いていた幹線道路はビルの倒壊も火災もなく、道路の寸断などもなかったので、ひたすらみんな歩く!ことができたのだと思います。

これがビルが倒壊していたり、ガラスが散乱していたり、道路が寸断されたりしていたら混乱していたと思います。

日本人の良いところで、秩序正しかったことも大きな混乱がなかった要因だと思います。

車は渋滞、歩道は人が絶えず、JR目白駅は駅のシャッターが締まっていました。

ファーストフードも閉店しているお店もあれば、営業しているお店もありました。

停電していなかったので、明るく歩きやすかったです。

いつもならとっくにお腹がすいている時間ですが、緊張感があったのか、お腹もすかないのでひたすら、いとこの家をめざして歩きました。

車で通ったことがある幹線道路なのと土地勘があるので、不安はありませんでした。

それでもやっと知っている町名やお店が見えたら、「ああ、もう少しだ」とホッとしました。

21:15にいとこのマンションに着き、夕方私のうちに電話したら、大丈夫だと言っていたと教えてくれたので、本当にホッとしました。

その後、電話したんだけどつながらないと・・・

温かいお茶を入れてもらい、自宅に電話したらやっとつながりました。

その後、いとこがおにぎりを作ってくれたので頂き、ニュースを観ていたら、地下鉄が運転再開したので、少し時間をおいて帰りました。

電車は朝のラッシュ並の混雑でしたが、それでもかなりの人が降りたので乗れました。

23時過ぎには自宅につくことができました。

私の場合は、新宿からバスに乗らずそのまま歩いて帰れば3時間ほどで着いたはずでした。これもまた何かあった時の教訓となりました。

私はこの日、たまたまバレエシューズを持っていたので、歩くのに支障がありませんでしたが、もしヒールだったら?と思うと歩けていなかったかもしれません。

会社によっては、すぐに帰宅させるところもあれば、すぐには帰宅させずに夜まで会社で待機していた友人もいました。

ある友人は、会社のビルがあまりにも揺れて怖いので、これなら自分の家の方が揺れないだろうと夕方に徒歩で帰宅したそうです。

別の友人は、会社で待機するようにと言われ、20時過ぎに家が近所の人同士で帰るように言われて、新橋から3時間かけて歩いて帰ったそうです。

また別の友人は、地下鉄が運転再開したというので駅に行ったら、ホームにたどりつくまで1時間かかったそうです。

都心から23区内であれば、2時間~4時間くらい歩けば帰れる距離ですが、これがもっと遠いとなるとそうもいきません。

今日知ったのですが、埼玉に住むブログ友達は勤務先から浦和駅までは来たものの、その先の電車がなく、避難所に行ったそうです。

駅近くの小学校は人でいっぱいだったので、離れた高校の避難所に行ったそうです。

避難所は男女分かれていて、すぐにレトルトのおかゆや水、毛布などを支給してくれたそうですが、暖房がなく寒くて寒くてしかたなかったそうです。

朝8時過ぎに避難所を出たものの、まだJRが動いていないのでドトールで時間を潰し、その後、電車の運転が再開したので乗ったそうですが、いつもなら15分の距離が、信号停止や踏み切りでの徐行運転などで1時間20分もかかったそうです。

ほかの友人はマイカー通勤しているのですが、子供を迎えに行き、渋滞していて3時間かかりやっと夜10時過ぎに帰ってきたと。

おまけに千葉に住んでいる長女とは連絡が取れないというので、心配していたのですが、先ほどメールしたら、地震で携帯を水没させてしまい、おまけに夜勤(病院)だったので携帯ショップに行けなかったのだそうです。

そういうこともあるんですね。でも、安否が確認できて良かったです。

携帯電話の普及により、公衆電話が少なくなったので、どこも公衆電話には人が並んでいました。

携帯電話依存症ともいえる私たちですので、つながらなくても携帯がいきているだけでも安心できます。

充電バッテリーも一緒に持っていると安心です。私も途中でバッテリー切れましたが、充電器があったので、安心でした。

渋滞するとタクシーもバスも使えません。信じられるのは自分の足だけです。

日頃、ウォーキングしていて良かった!と思ったのはいうまでもなく(*^_^*)

スニーカー(ヒールの低い靴)、帽子、マスク、水、少しの食料、携帯電話のバッテリー、ポケット地図くらいは常に持っていないといけませんね。

auの携帯(一部機種を除く)は、緊急地震速報というのが、大きな地震の数秒前に届きます。

マナーモードにしていても大きな音が鳴り、地震が来る事をメールで知らせてくれます。解除することもできるようですが、これがあると少しだけ身構えることができます。

バスの中で携帯で話している人もいて、どうしてこの人の携帯は通話できるんだろう?と思ったのですが、ドコモは通話ができていたようです。auは全く通じませんでした(>_<)

あるクライアントさんのブログには、息子さんのお友達が茨城に住んでいて、マンションまで帰ったのにオートロックが壊れていて部屋に入れず、車の中でコーラ1本で10時間過ごしたそうです。コンビニも閉店していたそうです。

せっかくのオートロックも停電などでそういうこともあるのですね。

この記事を書いている最中も2回ほど余震がありました。

どうぞ皆様、くれぐれも気をつけてください。自分の身は自分で守るしかありません。

最後になりましたが、電車や地下鉄、バス等の公共交通機関の方々、警察、消防、都庁の職員、都立・区立の学校の教職員の方、避難所を提供してくださった私立大学の職員の方、コンビニ、ガソリンスタンド等の方、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

被災地で昼夜働いている警察、消防、自衛隊、海上保安庁、県庁や市町村の職員の方々、病院のスタッフの方々のご尽力に心より敬意を表します。

また次々と世界各国からかけつけてくれているレスキュー隊の皆様にも心から感謝いたします。

被災地で救援を待っている多くの人が、少しでも早く発見されますように。避難所生活をされている方々に、救援物資が少しでも早く届きますように、心よりお祈りいたしております。

我々は今は祈ることしかできませんが、少しでも節電することが協力になるのだと思います。

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